紅茶の歴史
一般的には、1904(明治37)年の「セントルイス万博」で、
イギリス人のリチャード・ブレチンデンという茶商が配った「アイスティー」は
あっという間に売り切れただけでなく、瞬く間に大評判となり、
「アイスティ」は「メイド・イン・アメリカ」の代表的な飲み物となったのです。
当初、ブレチンデンは「熱い紅茶は健康に良い」と紅茶の宣伝をしていましたが、
万博が開催されていたのが7月の暑い時期だったので、
紅茶を冷して配ったところ、これが大好評となったようです。
しかし、それに先駆けて1879年に出版されたレシピ本
「Housekeeping in Old Virginia」に「アイスティー」の作り方が紹介されています。
まず、温めたティーポットに熱湯と茶葉を入れます。
氷の入ったグラスにグラニュー糖を入れ、
その上からとても濃いお茶の抽出液を注ぎます。
そして、「レモン汁を入れると、より美味しく健康になりますよ」と
締めくくられています。
また、「夕食時に飲みたければ、朝食の時に作りなさい」とあり、
夕食時まで茶葉を浸しっぱなしにするとも書かれています。
「アイスティー」の始まりには、
アメリカの冷蔵庫や製氷機など冷蔵技術の発達が大いに関わっています。
アメリカでは、南北戦争(1861-1865)により北部から氷が届かなくなったため、
南部では早くから家庭などで冷蔵庫が普及しました。
冷蔵庫は1800年代初頭に発明され、
1895(明治28)年にペンシルベニアで配布されたレシピの小冊子に掲載された
一種の製氷機の広告には、
その利用法のひとつに「あなたのアイスティーのために」と挙げています。
ですから、この頃には既に「アイスティー」が飲まれていたことが伺えます。
贅沢なおもてなし品として当時好まれた、
お茶にシャンパンなどのアルコールやジュースなどを加えた
甘くて冷たい「ティーパンチ」が飲まれるようになりました。
また、「アイスティー」は料理にとても合う飲み物であったため、
アメリカ南部で「アイスティー」は、夏だけの飲み物ではなく、
1年を通して、食卓で飲むポピュラーなソフトドリンクとして定着しました。
<アメリカのアイスティーの歩み>
1800年代
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お酒に緑茶を加えた
「リージェントパンチ」と呼ばれるカクテルが流行。
(リージェントは英国のジョージ4世の愛称。)
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1830年代
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後に「アイスティー」普及の要素となる
「冷蔵庫」や「製氷機」が開発、特許を取る。
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1839年
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ケンタッキー州の主婦(ブリノン夫人)の料理書に
アメリカンスタイルの「ティーパンチ」のレシピが掲載される。
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1879年
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ヴァージニア州のマリオン・キャンベル・タイリーが編集した料理本に
「スイートティー(アイスティー)」のレシピが掲載
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1884年
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リンカーン夫人のボストン・クックブックに
「アイスティー(ロシアンティー)」が紹介される。
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1890年
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退役軍人のパーティで、大量の料理と「アイスティー」が飲まれたという
新聞の記事が出る。
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1893年
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シカゴ万博で、「アイスティー」と「レモネード」が
約2,000ドル以上の利益を上げたと記録される。
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1895年
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ペンシルベニアで配布された小冊子に製氷機の広告掲載。
コピーに「あなたのアイスティー向け」。
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1904年
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セントルイスで万国博覧会開催。
万博会場で配られたアイスティーが爆発的人気に。
同会場では世界で初めてハンバーガーなども紹介された。
同時期にニューヨークではティーバッグが流行。
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1920
〜1933年
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禁酒法時代、アルコールに代わるものとして、
アイスティーの人気が急上昇。
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