優しいのみもの

「優しい」・・って、私基準です。

何似生(かじせい)

 
禅 語(出典『碧巖録』) 
 
比べてみてどうだろうか、の意。
何か。如何に同じ。
大燈国師(だいとうこくし)が弟子達に課した「三転語」の最初に用いられている。
 
すなわち
「朝(あした)には眉を結び、夕には肩を交ゆ、我何似生」というもので、
朝におはようございますと言い、夕方になると今晩はと言う、
私というのはいったい何者なのかという意味。
 
「三転語」は次に、
広間の中央にでんと立つむき出しの柱は
一日中、出たり入ったりしているが、どうして私は動かないのか、と問う。
ここには、もし私が柱だったら、どっしろと控えて動かないのだが、という
暗喩がある。
全ては、自信の感じ方、考え方に帰着するとも言える。
 
最後に「三転語」は、
二つの転語を通過しえたならば、一生の参学はそれで終了であると記す。
この禅語から、誰にも選り好みをせず、
朝にはおはよう、夕方には今日はあるいは今晩はと
挨拶を交わし合うことの大切さ、
花や木や石や諸々のものを自分だと思って愛することによって、
いかに自分が豊かになるかを知ることの大切さを学ぶことが出来れば、
大燈国師は「一生参学了畢」と言ってくれるかもしれない。
 

TOPに戻る