優しいのみもの

「優しい」・・って、私基準です。

紅茶の年表

紅茶の歴史(Chronology of tea)

f:id:linderabella:20200625101931p:plainf:id:linderabella:20201211153806j:plain

 

760頃
唐時代、『茶経』 陸羽鴻漸が茶に関する最初の著作『茶経』を著す。
当時は、茶葉を粉々にして固め、乾燥させた「餅茶」を焼いて削り出していたが、『茶経』には「餅茶を挽いて粉末を煮出すとおいしい」と書いてある。
陸羽は湖北省の出身とされ、当時の茶産地として中国南方を挙げている。
1211
栄西禅師『喫茶養生記』を著す。
1600
イギリス東インド会社(EIC)設立。
1602
オランダ連合東インド会社(VOC)設立。
1610
オランダが中国茶、日本茶輸入
オランダ連合東インド会社が、長崎の平戸から日本の緑茶(嬉野などの釜炒り茶)を送った。 澳門(マカオ)からは中国茶も積み、船団はアフリカの喜望峰を回って母国に着いた。 オランダは1606年にも中国茶を輸入したが、日本茶の紹介はこの時が初めて。
1618
イギリス30年戦争(~ 1648年)
1620
メイフラワー号、アメリカ到着。
信仰の自由を求めた清教徒が、イギリスから新天地アメリカに渡った。
この時の船メイフラワー号は、その後のヨーロッパによるアメリカ植民地化のシンボルになった。
1640
オランダで喫茶流行。
1641
ピューリタン革命(~ 1649年)
1661
ポルトガル、ブラガンザ家のキャサリン、イギリス王家へ。
イギリス最初の「ティー・ドリンキング・クイーン」がポルトガルからイギリス王チャールズ二世に嫁ぎ、中国風に飾り付けた部屋で、貴族達に砂糖入りの茶を振る舞い、茶はファッショナブルな「貴婦人に相応しい飲み物」として広まっていった。
キャサリン・オブ・ブラガンザは、婚姻の持参金の一部として当時貴重だった茶をポルトガルから持ってきた。
1679
イギリス東インド会社(EIC)、初の「ティー・オークション」 。
1680年の新聞広告には、紅茶1ポンド30シリングと記されている。
1688
イギリス、名誉革命。
1712頃
イギリス東インド会社(EIC)、中国茶の輸入独占。
1717
T・トワイニング「ゴールデン・ライオン」開店。
1765
「砂糖革命」で中産階級勃興。

1773

ボストン茶会事件。
フランスとの戦争の戦費を、イギリスが、植民地アメリカに負担させるために次々と重税を課したことに、アメリカ住民の不満が爆発。茶箱を摘んでボストンに入港したイギリス船を襲撃し、茶の陸揚げを阻止するために茶箱を全て海に投げ落とした。
1755
アメリカ独立戦争始まる。(1783年)
1785
イギリスの「工夫茶(コングー)」輸入量増加。
1823
R.ブルース、インドで茶発見。
インド北部アッサム地方を支配していたビルマ(現・ミャンマー)を制圧するために出動したイギリス東インド会社の軍隊に従軍したロバート・ブルース少佐が後にアッサム種と呼ばれるようになる茶の樹を発見。
中国から3人の茶師を招いて、茶の栽培と製茶に挑む。
1837
ヴィクトリア女王即位。(~ 1901年)
1838
アッサム茶、ロンドンで上場。
1840
アヘン戦争。
イギリスでは紅茶の消費量増加に伴い、これまで中国からの茶の輸入の支払いに使用していた銀の代わりとして、植民地インドで栽培されたアヘンを清に持ち込み、貿易の不均衡を補おうとした。その結果、中国国内でアヘンが蔓延すると、中国はアヘン密輸を厳しく取り締まり、押収したアヘン1400tを破棄。これが戦争の引き金となった。
中国の茶貿易を支配した「広東ファクトリー」には13の特権商人が属し、貿易を独占していた。
1850
イギリス、航海条例撤廃/アメリカで「オリエンタル号」進水。
アメリカ船「オリエンタル号」は紅茶を運ぶための最初の快速帆船で、1850年に進水した。
1866
J・テイラー、セイロンで大規模茶園・製茶開始。
1841年、セイロン(現・スリランカ)の(ウダ)プッセラワに最初の茶園が造られた。
1866頃
ティークリッパーレース最盛期。
中国(清)のいくつかの港で自由に貿易が出来るようになると、多くのヨーロッパ船が中国貿易に参入。
既にイギリスの国民的な飲み物となっていた紅茶を、どれだけ早く届けるかということに高い関心が集まり、中国から最初に届けられた一番茶(4月に積んだ新茶)は高値で取引され、これを摘んだ船主や船長は莫大な利益と名誉を得ることが出来た。
ティーレース史上の名勝負「テーピン号」対「アリエル号」は1866年に行われ、「アリエル号」が勝利した。
1874
日本政府、製茶係設置
1875
「大英帝国紅茶」時代始まる/ 「祁門(キームン)紅茶」生産開始
1877
多田元吉、高知県で紅茶試作。
1879
インドネシアで茶園開拓。
1890
T・リプトン、セイロンの高地茶園買収。
1904
アメリカで「セントルイス万博」開催。
ルイジアナ買収100周年を記念したセントルイス万博で、イギリスの紅茶商人リチャード・プレチンデンが夏の暑い会場で淹れ立ての紅茶に氷を入れた「Iced Tea」を出し、これがアイスティーの誕生のきっかけとなったとされている。
1905
明治屋「リプトン・ナンバーワン」(黄缶)直輸入・発売。
1914
第一次世界大戦(~1918年)
1917
ロシア革命
1825
ケニアで大規模茶園造成。
東アフリカのケニアに、ブルックボンド社とJ・フィンレイ社が大規模な茶園を造成。
ケニアのティー・プランテーションが発達する基盤が築かれました。標高1000フィートのネイタル(Natal)・パイオニアティーガーデンは1877年に始まり、1903年には最盛期を迎えた。
1927
国産「三井紅茶」発売。
1939
「日本紅茶協会」設立。
1941
アルゼンチンで茶樹栽培開始。
1945
第二次世界大戦終結。
アメリカで紅茶のティーバッグ普及 イギリス旧植民地独立相次ぐ。
1971
外国産紅茶輸入の自由化。
1972
セイロン、スリランカ共和国となり、茶園を国有化。
1990
スリランカ、茶園民営化。
1998
ロンドン、ティー・オークション閉鎖。