コーヒーの歴史
インスタントコーヒーが初めて世に出たのは1901年。
日本人の化学者加藤サトリ博士が
「ソリュブル・コーヒー」
(可溶性コーヒー:溶けるコーヒーの意)と名付けて発表したのが
インスタントコーヒーの始まりです。
加藤博士は、19世紀末、
シカゴに留学し、緑茶粉末化の研究をしていました。
そこで「水分除去法」を開発。
それが米国で知られるところとなり、
米国のコーヒー輸入業者と焙煎業者がコーヒーでの応用を依頼。
依頼に応じた加藤は、米国人化学者の協力を得て
1899年、コーヒー抽出液を真空乾燥して粉末にすることに成功、
1901年4月17日、特許出願の書類を提出した。
「ソリュブル・コーヒー」(可溶性コーヒー)として発表しました。
1903年8月11日に特許を取得しますが、商品化には成功しませんでした。
1909年に、インスタントコーヒーの大量生産が最初に行なわれました。
それを行なったのは、ベルギーから米国に移住した
ジョージ・コンスタント・ルイス・ワシントンでした。
ジョージワシントンは特許を取得しましたが、
当時は、「インスタントコーヒーは美味しくない」と思われていました。
その美味しくない(⁈)
インスタントコーヒーの人気に火をつけたのは
米軍の兵士達でした。
兵士達が戦場でコーヒーを飲む時に、
インスタントコーヒーは手軽に入れられる飲み物でした。
第一次世界大戦の時、
兵士達はインスタントコーヒーをジョージ・ワシントンに因んで
「カップ・オブ・ジョージ」と名付けたと言われています。
兵士達は戦争が終わって母国に帰った後も、
インスタントコーヒーを飲み続けたのです。
第二次世界大戦になると、
インスタントコーヒーは米国の兵士たちの間で
より有名になっていきました。
戦中、1年間で米軍は
100万ケース以上のネスカフェのインスタントコーヒーを
買ったと言われています。
それは当時の米国ネスレ社の
1年間のインスタントコーヒーの生産量に相当するものでした。
戦後は一般家庭用にも広く消費され、市場に出回っていきました。
国産のインスタントコーヒー第一号は、
昭和17(1942)年頃に横浜で誕生したと言われています。
海軍からの要請を受けて、
山下義久という人物が製法の研究に着手。
戦前に輸入されたコロンビアとベネスエラ産のコーヒー豆を使い、
戦中の困難な状況の中で製造に成功します。
当時の製造技術では、
焙煎した豆からインスタントコーヒーになる割合は
わずか19%。
このため、海軍からは
カフェインの含有量が少ないので添加するように命じられます。
当時、カフェインの抽出法は非常に難しいとされていましたが、
山下氏焙煎時の煙からカフェインを採集する方法を考案。
純度の高いカフェインの抽出に成功し、
海軍の要請に応えることができました。
戦後になると、米軍の放出品に含まれていた
インスタントコーヒーが出回るようになりますが、
純度の低いものだったようです。
1960年代になると国内でのインスタントコーヒーの生産がスタート。
純度の高いものが市販され、一般の人々の間に普及していきます。